心の備忘録

普段考えていることの記録です!

孤独との向き合い方

・他者評価を気にしていた学生時代

人付き合いは煩わしいけど寂しがり屋。

そんな人がたくさんいるだろう。

かつて私もそうだったので、気持ちがわかる。

今も時折寂しさを感じることはあるが昔ほどそれで落ち込まなくなったし、

1人の時間が楽で楽しい。

私は子供の頃から友人が多くはなかった。

社会人となった今では定期的に会う友人は2人だけである。

ただ今はそれに満足している。

大事なのは量ではなく、どこまで深い付き合いができるかが肝心だと考えているからだ。

 

学生時代の私は友人が少ないことがコンプレックスだった。

特に高校生の時は強い劣等感に悩まされた。

周りから「友達が少ない奴」だとか「ぼっち」だと思われていないだろうかと心配だった。

多感な時期ということもあり、とにかく周りの目を気にしすぎていた。

大人になれば、自分が思っているほど他人は自分を気にしていないということに

気付けるのだが、学生のうちからそのマインドを持つのはなかなか難しい。

 

大学生の時点ではその劣等感は薄くなったが、完全に消えた訳ではない。

自分が所謂「イケてるグループ」に属せているかどうかを気にしていた。

今考えれば本当に情けない話だ。

周りの目を気にする癖がまだ残っていたのだ。

そんなことばかり考えていたため、

学生時代は1人でいることに抵抗があった。

 

そして、卒業し社会人になった。

この時点で周りの目を気にすることはなくなったし、

1人でいることに対しての抵抗も薄れていった。

だが、自分がそう思っているだけで

無意識に気にしてしまっている面はあるかもしれない。

ただ少なくとも学生の時ほど劣等感は抱かなくなったし、他者からの評価を気にしすぎることもなくなった。

 

・意識の変化

なぜ社会人になってから意識が変化したのか。

学生時代は自身が「陽キャ」か「陰キャ」か、「イケてるグループ」か「イケてないグループ」か、友達が多いか少ないか、そんなことばかりを気にしてしまう人が多いだろう。そうでなければ「陽キャ」や「陰キャ」という概念、言葉は生まれなったはずだ。

例外もいるだろうが、勉強ができるかどうかよりも「自分の立ち位置」を深刻に考え、悩むのが学生だ。少なくとも私はそうだった。

大抵の学生が属するコミュニティは主に3つだ。

「学校」「バイト先」「家族」である。その中でも学校に重きを置く人が大半だろう。学生にとっては「学校」というコミュニティが世界のすべてかのように感じてしまう。

そして、卒業すれば当然そのコミュニティは消え去り、「会社」など他のものに変化していく。世界が広がったように感じ、「自分の立ち位置」で悩むことが減っていくのだ。

社会人になれば、仕事の成果や将来に対しての不安に向き合っていかなければならない。周りの目線を気にすることよりも遥かに重要な壁にぶち当たる。

そうなれば自分の意識は外側ではなく、内側に向き始めるのだ。

 

そして社会人になれば付き合いのある友人が減っていく。

ライフステージの変化のペースは人それぞれだし、予定が合わなくなったりして徐々に疎遠になっていく。

また、大人になってから明確に価値観が合わなくなり、自ら縁を切るということもある。

学生の頃に比べて、社会人になってから1人でいる時間が増えた。

ここから本格的に孤独との戦いが始まる。

 

・1人時間の過ごし方

社会人になるタイミングで1人暮らしが始まった。

やはり最初は寂しさを強く感じた。

この頃、1人でいる時はスマホをだらだら見たり、1人で買い物に行ってみたりと何かと消費するようなことばかりしていた。

要はやりたいと思えることがなかったのだ。

毎日退屈で、精神状態もあまりよろしくなかった。

それは仕事の影響もあるが、話が逸れるのでここでは書かない。

 

「・意識の変化」でも述べたが、社会人になると将来への不安を漠然と抱えながら生きていくことになる。

何かを始めなければという気持ちに駆り立てられ、筋トレや読書、英語を始めた。

英語は続かなかったが、今はこうしてブログを続けている。

筋トレや読書は習慣化され、それがない生活が考えらないほどだ。

ブログ、筋トレ、読書などやりたいと思えることに出会えた。

そのため、今は孤独に悩むことが減った。

歳を重ねれば、さらに強い寂しさに襲われることもあるだろうが、

今は自分のやりたいことを継続し、魅力的な人間になりたい。

 

・孤独を楽しむには

何かに没頭することだ。

これ以外に解決する方法はないと思う。

どんなことでもいいからやりたいと思えることを見つけられたら

孤独がネガティブなものではなく、ポジティブなものへと変化する。

没頭できることが消費活動ではなく、創作活動だと尚良い。

これは宇多田ヒカルが何かのインタビューで答えていたことだが、

それに強く共感した。

例えば、写真を撮る/曲を作る/文章を書く/絵を描く

といったことだ。

何かを形に残すというのはとても大切なことだと思う。

自分の気持ちがスッキリするし、自分が何に興味関心を抱いているのかを見つける手掛かりにもなるだろう。

私がしている筋トレや読書は創作活動ではないが、

筋トレは体に変化が残るし、読書は自分の価値観を幅広いものへと変化させるきっかけとなる。

また、私はこうして文章を書いているので、表現方法を参考にすることもできる。

自分がそれに取り組んでいて、気持ちが晴れるかどうかが大切だ。

そう思える活動をコツコツと続けていくことが人生を豊かに過ごすために必要なのだろう。

 

今は孤独に悩むことはあまりない。

またそれに悩まされる時が来るかもしれないが、

そうなればその時に考えればいい。

今を良く生きるために私はこれからも考え、動いていく。