「足るを知る」
古代中国の思想家、老子の言葉だ。
要約すると、自分が今持っているものに満足し、必要以上に求めないことで幸せになれるという考え方だ。
私はこれを座右の銘にしている。
現代の消費社会において、心の平穏を保つために効果的な考え方だ。
人間の欲求というものは満たしても満たしてもすぐに乾く。
三大欲求に加えて、物欲や承認欲求など。
これらを暴走させてしまうから人は幸せになれないのだと思う。
欲求をコントロールすることが、幸せに繋がるのだと私は考える。
相対評価で価値が決まる物を追い求め続けたところで、幸せになれる保証はない。
例えば、家、車、など。
人間の消費欲は無限に湧き出るものだから、一度良い物を手にすると更にその上の物が欲しくなる。これが延々と続く。
厄介なのが人間は一度生活水準を上げてしまうと下げることが困難になる。
だから生活環境が変わるような大きい買い物をする時は冷静にならなければならない。
無限の消費欲に自己規律を持ってどこかで終止符を打たなければならない。
なぜなら、財産と精神をすり減らすだけだからだ。
物を買う時、一度立ち止まって今自分がどれだけ恵まれているかを再確認した方がいい。
その手順を踏み、それでも必要だと感じたのなら買えばいい。
ミニマリズムを推奨している訳ではなく、自分の財産と精神をむやみにすり減らさないことが大切なのだ。
私にも経験があるが、「物を得る」ことに満足するのではなく、「買う」という行為に満足している人が多くいるだろう。
これは非常に危険な状態であると言える。
「特定の物を得る」ということが目的であるならば、それを買った時点である程度物欲にブレーキがかかり、冷静になれる。
ただ、「買う行為」が目的になってしまえば、物欲にブレーキがかかるどころか、更に増していく。
ドラッグのようなものだ。
生きている限り、消費活動に終わりは来ない。
だから自己規律を持って欲求をコントロールしなければならない。
その困難を乗り越えるための手助けとなるのが「足るを知る」だ。
今自分が置かれている環境や持っているものは当たり前ではなく、感謝すべきものだ。
この気持ちを常日頃から持ち続けていれば落ち込むことも減り、むやみやたらに消費を繰り返すこともないだろう。
私は服が大好きだ。
支出の大半は被服費である。
たしかに趣味は人生を豊かにするために必要なことではあるが、服を買い続けるだけの人生に幸せは訪れない。
「足るを知る」という考えが服欲にブレーキをかけてくれる。
今までは毎月服を買っていたし、買うという行為に快感を覚えていたこともあった。
だが先月は一度も服を買っていないし、現在も消費欲求が以前に比べて弱くなっている。
本当に必要かどうか、冷静な見極めができる健全な状態にあるのだ。
買い物をした時の満足感も大きい。
欲求が弱いにも関わらずそれを買ったということは心の底からそれを欲しているということであるため、買ってから後悔する可能性も低い。
人間は慣れる生き物だ。
「買う」ことに慣れれば慣れるほど、満足感が減っていく。
逆に、物を買っていない状態が長く続いている時に物を買ったときの満足感は大きい。
「足るを知る」という考え方は欲求のコントロールだけでなく、落ち込んだ時にも自分を助けてくれる。
人が落ち込む時というのは基本的に何かに失敗した時や漠然とした不安を抱えている時だ。
それは「自分が持っていないもの」に目が向いている状態であり、その対象は能力、お金、恋人など様々だ。
そういう時は「自分が持っているもの」に目を向けるといい。
私の場合、まず家に住めている。ベッドで眠る事ができ、ソファでくつろげる。エアコンで室内温度の調整ができる。スピーカーで音楽を聴きながらリラックスできる。
これらのことは現代の日本での生活においては当たり前だと感じる人がいるかもしれないが、それは当たり前ではなく、とても恵まれていることなのだ。
人間は「自分が持っているもの」に対して慣れる。
最初に手にした時は新鮮でも、ずっと持っていれば当たり前になる。
それを見つめ直し、いかに恵まれているかを実感する。
そうすれば多少なりとも心が軽くなるはずだ。
「足るを知る」を心構えにしておけば、心の乱れが比較的穏やかになる。
私は、生きていくうえで精神の強度が最も大事だと思う。
精神を育てるという考え方で常日頃生きている。
今後もインプットとアウトプットを繰り返し、成長していきたい。